『徘徊老人になったわたし』
SEISAN
このところのわたしは,さわやかな風を身体いっぱいに受けて,本当に心から喜んでいる。それは,長年の夢であった自分の城,兼事務所が持てたからだ。
わたしは横浜市鶴見の自宅3LDKマンションに20年間住んでいる。今は夫婦と息子と3人で生活している。
長女が嫁に行った二年前までは,カミさん,長女,長男,次男と私の5人家族で住んでいた。その後,二人の息子は既に社会人となっていたが,息子たちは家を出ていかず,同居していた。
ところが昨年の秋,長男が仕事の関係で引っ越しをした。その瞬間,わたしは内心喜んだ。カミさんに,長男が居た6畳ほどの空き部屋に,わたしの事務所を移動(引っ越し)しても良いと言う同意を取り付けたからである。息子が自立し,成長を喜んだわけではない。それまでの事務所は,リビングの片隅にデスク,本箱と業務用のコピー機を構えていただけだった。親父としての存在感も薄かった。家族から,時には“粗大ごみ”の如く扱われたこともあった。
さっそく,新事務所のレイアウトをデザインした。
デスク,本棚大1竿やコピー機などの事務調度品の設置をあれやこれや,毎日毎日考えるのが,また,たまらず楽しかった。ところが,この楽しみを邪魔する出来事が起こった。これは後ほどお話しをしよう。
それで,デスクは以前使用していたものを流用することにした。椅子は背もたれが首丈まである社長さんもどきのサイズを1脚購入した。ここまでは何とかうまくいった。だけど,引っ越しに問題が発生したのである。
長年,各部屋のあちらこちらに山積みされていた書籍とか書類などをどう片付けるかであった。今の本棚ではとてもじゃないけど,収納するのは不可能である。そこで,事務調度品を“エィ,この際,購っちゃへ”と思いきった。
年が明け,3月になり,ようやく事務所の調度品を揃えられる時期がやってきた。
自宅から歩いて30分程度のところに「ニトリ」という家具屋さんがある。
そこに,休日の夕方4時ごろ健康&散歩も兼ね,鶴見川の土手沿いを歩いて,調達に出かけた。
店に入るや否や事務調度品の2階売り場にまっしぐら。持参した「巻き尺」と「レイアウト図」を片手に,事務調度品を約35分程度物色して決めた。本棚大2竿,本棚中1竿とサイドボード1台の4点を購入した。
ここまでは,うれしくて・うれしくてたまらなかった。しかし,支払いカウンターで,合計4点になるところを,どういう訳か,サイドボードが4点購入となり,合計7点の「承り表」が渡され,説明された。明らかに「全数で4点」との勘違いである。「どこが,承り表だ!」。これは,すぐに修正させた。さらに,配送が2週間後になると言い渡され,たいへん遅いことに,激怒した。「俺は一日も早く欲しいのだ!」。
対応した店員は,女子プロレスラー並の体躯をして曰く,「普通は1週間から10日間で配送になります」。わたしは,「今回,なぜ2週間だ,何とか早くならないのか,こちらも都合がある」と詰め寄った。しかし,「1週間から10日間」だけをなぜか繰り返すだけで,答えにならず,さらに腹を立てたが,なにせ女子プロレスラーには敵わないと思ってあきらめ,契約した。
だって,早く事務調度品が欲しいだ!
まだ“カッカ”している自分を鎮めようと,気晴らしに,疲れを感じてはいたが,来る時と同じ鶴見川の土手沿いを歩いて帰ることにした。先を急いだ。
店の前の交差点を渡り,近道で行こうと思い,密集している住宅街の路地へ入った。この路地を通るのは初めてであった。たぶん鶴見川土手沿いに出るのは右側だと思い,曲がりくねった住宅街の道を右・右に進め,どんどん歩いて行った。しかし,なかなか鶴見川の土手沿いに出ない。おかしい。時計を見ると既に30分近く歩いていた。辺りはすでに暗くなっていた。一瞬,「エェ,ここはどこ」「俺,どうしたの」と宇宙へ飛び立った心境に陥った。
おかしいなぁと思いながら,さらに歩いていると,見慣れた風景が表れ,そこは何と,目的地より真反対の国道沿いだった。この30分はどこを歩いていたのかも分からず,ただただ,黙々と歩いていた自分に気がついた。疲れた。しゃがみ込む。しかし,これは,もはや徘徊する老人ではないか。もともとは方向音痴の自分であるが, 20年間住み慣れた町,幾度となく通り過ごしている町ではないか。そう思った瞬間,背中に冷たい風が吹き抜けていった。
二か月前,還暦を迎えたと同時に認知症になったのか。待てよ! 俺は,まだ若いぞ。そうだろう。と,あわてている自分の姿と自問自答しているうちに,なんだか哀しくなった。
オイ,徘徊イコール認知症だろう。有吉佐和子さんの「恍惚の人」を思い出した。その瞬間,頭のてっぺんからつま先まで,身体中がスパーク状態に陥った。身震いした。
そこには,町中の灯りの陰に呆然と立ちすくむ自分の姿だけがあった。なんだ,これは!声が出ない。ただただ,疲労困憊の息。ショック! やっぱり,わたしは若年性認知症なのか?
医学的な詳しいことは知る由もないわたしだが,アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)は,65歳以上が六〜七割を占めるとか。脳における変化は,認知機能が低下し始める数十年前の,三十代,四十代から始まっていると。また,健康な脳は1400グラム前後の重さがあるが,アルツハイマー病を発症すると脳全体が委縮し,10年ほどで800〜900グラム以下に減少すると,ある雑誌で読んだことがある。中核症状は,記憶力や判断力,問題解決能力,段取りをつけられない,予定を立てられないなどの実行機能障害が表れるとか。
さしずめ,今回のわたしは記録・判断・段取りなど三拍子揃った機能障害を起こしたと言うことか。しかし,頭の軽さを感じていない。もともと軽い。オイ,余計なことを言うな。真剣だ。オイ待てよ,自分は冷静に今の状況を分析している・なぁ。そうだよなぁ。若年性認知症なんかに患うはずがないよなぁ。
原作萩原浩さん,映画「明日の記録」を思い出す。自分の視点から記録を失っていく姿を想像するだけでも,恐い。
この先も,健康な男性の状態で生活をしたい。でもさ,すでに三十〜四十代から認知症が始まっているとしたら,これほど侘しくもあり,哀しいものはないよ!
息子が家を出て,長年,待ちに待った自分の城が手に入った。それで,何のために,いそいそと事務調度品を買いに来たのか。若年性認知症を患っていたら,今日,買った品,全部無駄になるじゃないか。オイ・オイ,問題の次元が違うだろう。
再び,自問自答が始まった。この先が思いやられるなぁ。
国道からバスに乗り,ようやく家に辿り着き,カミさんに「徘徊老人」の話しをした。すると,カミさんは,呆れた顔をして,声を上げて,笑い出した。
カミさんの笑う姿を見ているうちに,なぜか,怒りや哀しみから解き放されてきて,だんだんと落ち着きを取り戻した。
そうだな,カミさんと一緒になって,あれから三十年。3年越しで口説いて,都会のことは何にも知らないカミさんを長崎から連れて来た。
お互い,男尊女卑の風土が残る長崎で育っているため,生活様式は合っていた。それに甘んじた訳ではないが,わたしの若い頃は,カミさんに無理難題を言ったものだ。
家族のことは全て私の独断で決めてきた。大声を出して叱ったこともあった。一緒に歩く時は,三歩下がってついてきた。
いやなこともあったろうな。新婚生活を始めた二間のアパート。その台所の隅で泣いている姿も何度かあった。でも,ねぎらいの言葉一つ掛けることはなかった。「ごめんな」。
あれから三十年。立場は逆転した。いま,カミさんに頭が上がらない。カミさんの言うことは,すべて「ごもっとも」と答える今日この頃のわたし。
ここまで,わたしが好き勝手なことをやれたのも,すべて,カミさんの「律儀」で「物に動じない」強い精神力の支えがあればこそ。「感謝」。
わたしが,今の生活空間で,ひとときのやすらぎを得るのは,カミさんの笑い声が家中に響きわたり,身体に共鳴した時だ。でも,テレビの前で馬鹿笑いするのだけはやめて欲しい。
カミさんが,わたしの「徘徊老人」の話を呆れながらも,まじめもどきで聞いてくれた。そして,笑った。うれしい。ホットした。だから,俺は大丈夫だ。先ほどの怒りや哀しみがどこか消え去っていった。あぁ,我が家は「健康」だ。
でも,そうだな,60歳にもなって,あまりカッカしないことだな。「瞬間湯沸かし」なんて,もう古いぞ。九州男児,亭主関白はもう通じないぞ。
その夜,「人生は,あるがままに,ゆっくり,ゆっくりと。必ず,自分の道あり。」と自分自身に言い聞かせた。そして,生涯健康でいたいと思いつつ,床についた。
そのうち,幸福いっぱいになるさ。そうだよ,二週間後に本棚が届いて,夢にまで描いた自分の城が完成するぞ。二週間後が楽しみだ。そうだよ。その城から,ベストセラーが生まれるかもしれないぞ。そうだよ! あるがままに,筆を運ぶことだよ。そうだよ,そうだよ・・・。
(了)
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