有頂天オヤジの四月七日
SEISAN
そこに,草花が咲きほころび,春爛漫を全身で楽しんでいるオヤジがいた。
オヤジの名は,本河内洋助。団塊世代である。
洋助は,男気がムンムンする設備建設現場に20年間つとめていた。その後,経営コンサルタントに転職。今は,個人事務所を持ち,企業研修や講演会の講師を営んでいる。
洋助の住まいは,近くに,1600本の桜がある三つ池公園の隣に位置していた。公園の桜が咲きほころぶのを楽しみにして30年になる。洋助とカミさんの中は,すこぶる良好だ。家の中は,笑顔が見られた。洋助は,今の生活に満足している。
娘の幸子は,高野貴俊君と三年前に結婚して,となり町の川崎で暮らしていた。
二月末,幸子はカミさんの携帯メールに入電した。
「『コルテオ』を見に行かない。ターボー(貴俊)から母の日のプレゼントョ!」
もちろん,カミさんは二つ返事であった。
カミさんが書斎にいた洋助に,四月七日午後からコルテオを見に行く。と言ってきた。
すかさず,洋助は「僕は?」と言ってしまった。つい,ついである。そこに,この何とも言えない,置いてきぼりを受けたという,疎外感があった。
すかさず,カミさんは
「あら,一緒に行きたいの,そう,じゃ,幸子に言ってみるわ」
と言った。
そっけない。洋助は,なぜか今の状況を素直に受け入れることができなかった。冷めたお茶で,グチュグチュとした。
再び,幸子はカミさんの携帯メールに入電した。
「しょうがないわね。じゃ,早いけど,父の日のプレゼントョ!」
しょうがないはないだろうと,一瞬,メールに怒った。
カミさんが
「だって,母の日が先だもん」
と言った。
それでも,洋助の顔には,うれしさがにじみ出ていた。
それというのも,洋助は,家のことはお父さんに,「なぜ,先に,言わぬ」という昔気質の想いが,まだまだ残っていた。それは,何気無い哀しみのオヤジの姿でもあった。
けど,今時,まともに自分の価値観をいちいち表に出せない。もはや,家庭崩壊の危機になる。数年前,マスメディアで報じられた熟年離婚はショックだった。
テレビ朝日で放映された「熟年離婚」は話題を呼んだ。渡哲也さんが豊原幸太郎役を演じた。幸太郎は,仕事一筋で家庭の柱として,家族を養っているという自負を持っていた。幸太郎と同世代の男性に,厳しい現実が突きつけられた。何で,定年退職のその日に,長年苦楽を共にして来た女房から離婚宣言されなければならない。何の不満があるんだ!?
亭主にしてみれば,辛い現実だ。「どうしてだ!」と思うのは当たり前だ。亭主は,茫然自失になる。でも亭主は,家庭を顧みなかった。いままでに,女房の誕生日や結婚記念日に,サプライズが一度でもあったか。それどころか,二人のその特別の日,子供の誕生日も含めて,覚えていなかった。いや,正確に言うと,仕事にかまけて忘れていた。とにかく,日本の女房は今まで,じいぃと,我慢してきた。耐えてきた。
そして現代,今の女性は,自己主張が受け入れられる。世の中の意識が変わった。だから,今度は,亭主が,じいぃと我慢,耐える番だ。亭主にしてみれば,辛いことだ。納得がいかない。でも我慢。亭主は,生き方,考え方,価値観を今の変化に合わせて,変えなければ……。
ところが,一番変わっていないのは洋助である。くつがえる常識に意識を合わせ,変えなければと分かっている。それでも,「そんな,人間,意識なんかカンタンに変われるものか」とつぶやく。でも,意識を変えるところは変えないと。自己との葛藤が始まっている。そして,自分自身を納得させるしかない。しかし,何かに,どこかに,変えてはならないものへのこだわりがある。納得いかない部分が,まだまだ残っている洋助であった。
いずれにしても,ついでの存在にされた。にべもない。家庭のパワーは,カカア天下に逆転しても良い。まず洋助に,声を掛けて欲しかった。洋助の存在感が得られ,よろこびの瞬間だと言うことも理解して欲しかった。その方が,家庭の笑顔を保たれると信じている。また,そうありたいと洋助は願っている。
とはいいものの,洋助は,元来のさびしがり屋のオヤジなのか!?
貴俊君は,仕事の都合で行けなかった。
嬉野の緑茶を取りだした。やや熱目の茶を,自分で入れた。ズズウィとすすった。
四月七日がやってきた。
今日は,コルテオ鑑賞に出かける日である。
洋助は,朝から今年の新ネタ講演売り込みのため,キャッチフレーズを創作していた。
そこに,ボーンンとPCメールが入電された。
先日,エッセイに応募した,月刊「Writers!」からである。
初めて筆を執った『徘徊老人になったわたし』の掲載承諾のお知らせであった。駄目でもともとと思って応募したエッセイであった。
審査委員長から「大作家の誕生に、審査委員はいま興奮しています。……」と評されていた。
洋助は,「大作家の誕生」まさか!と思いつつ,すでに「有頂天」になっていた。
ちょっと前までは,筆を走らせるどころか,月刊誌に掲載されるなんて,まさかのまさかで,高根の花的存在だった。
洋助は,既に,キャッチフレーズ創作のことなど,忘れていた。
そうだ,ここで父親の存在価値を高める『千載一遇』のチャンスだ。あることがひらめいた。これが黙っていられるか。洋助の心をくすぐった。
平日,それも昼中,仕事中の息子二人に,臨時ニュースとしてメールで配信した。親としては,軽率な行動である。しかし,これが洋助の良いところでもあり,悪いところでもある。長崎で暮らす姉にも配信した。
その後,これから会う約束の幸子には,わざわざ表紙を作り,表紙に篆刻を押し,業務用のカラーコピー機で印刷し,小冊子風に綴じ,白封筒へ入れ,手渡しすることにした。知人3人にもURLを案内した。エェ,他には? 時間だ。今晩帰ってからだ。
人は普通,ひらめいたりしても,すぐに行動へ移さない。ちゅうちょするものだ。洋助は,ためらわない。即,動き出す習性があった。生まれながら,抑制力のブレーキオイルが1滴・2滴およばないオヤジなのか!?
「あなた,そろそろ出かけましょう」と,やさしくカミさんが言った。
幸子との待合せ場所へ早めに着いた。川崎ラゾーナの「丸善」に立ち寄った。趣味で,昨年暮れから始めた,「墨で描く絵手紙」の色紙五枚と画仙紙はがき五十枚を購入した。栄転した知人に,絵手紙を贈呈するための仕入れだった。
洋助は,20代のころから,いつかは絵を描く夢をいだいていた。夢がようやくかなった。
先月,洋助の自作絵手紙は,トレッサYOKOHAMAの美術展示会に,一カ月間,10点の作品が展示された。終了したばかりだった。異例のデビューである。
展示会が開催されて一週間経った頃,絵手紙のメンバー数人と会場へ出かけた。受付主任から,評判は良いと聞かされた。ウン!とうなずいた。近郊の主婦たちがワイワイ・ガヤガヤと鑑賞していた。そのうちの一人がA3大の和紙に描いた「真鯛」の前で,「スゴイネ!」といったのを小耳に挟んだ。その時,洋助は,周りに気遣い,遠慮気味に顔をほころばせた。洋助は,墨で描く絵手紙でも「有頂天」になっていた。が仲間に悟られないように振る舞った。状況をよく考えて心をくばるオヤジなのか!?
家族は,それぞれの時間をやりくりして鑑賞に出かけた。が,無反応だった。
幸子が来た。相変わらず,服のセンスは良い。それと,もの静かな振る舞いで,背中をピーンと張り,近づいてきた。「ここよ」とカミさんが叫んだ。
電車移動の中で,白封筒を渡した。帰ってから,貴俊君と一緒に読むように言った。
そのとき,ひとこと付け加えた。「最近のお父さんの心境を,赤裸々に描いた。エッセイだ」と。幸子は,一舜,小さな顔に,かわいく大きな目をさらに大きく開いた。すぐに,「エェ,また」と小さな声で言いながら, 普段の顔に戻った。
涙もろい幸子を泣かせようと思ったが,思惑が外れた。残念。ちょい悪オヤジなのか!?
洋助は,何か,見られていることを感じていた。
それはそうだろう。洋助は,やりたいことをやって,長いこと家族を困らせてきた。生き様を語れば,当たり前だ。これは罪か罰か。地獄へ落ちるのか? 馬鹿な! ……。
お父さん,お父さんと,遠くから呼ぶ幸子のかすかな声が聞こえた。
「着いたわよ」
「原宿よ,さあぁ,何しているの,早く降りて」
すかさず,カミさんから,
「ナ・ニーあなた,むずかしい顔して,なんでボーと立っていたの……」
と,言われた。
「ウ・ウン」
と,洋助は応えるだけだった。
このところ,めっきり広くなった『乾燥肌』のおでこを手で擦りながら,カミさんと幸子の後ろに付いた。空気のようになって,歩いた。
原宿駅から,明治神宮前の橋を渡り,代々木公園の方へ向かった。
春先の季節にしては,ちょいと暑い感じであった。
会場へ着いた。開演30分前であった。
代々木公園の中,会場入り口周辺とサーカステントの前は,満開の桜の花見をしている開演待ちの人たちで,あふれていた。
我々一行は,先に席へ着くことにした。
席は,舞台の左前列四番目であった。
ワオー!といきなり洋助が叫んだ。砂かぶりだ。生演奏が行われる袖の場所に近かった。席の位置だけで,手放しで喜ぶ洋助であった。もう,感激! 「有頂天」になっている洋助であった。
貴俊君,幸子ありがとう。素直に喜んで,礼を言った。
もうその時,付け出しで,招待を受けたことなど,忘れていた。
洋助は,純朴さが残るかわいいオヤジなのか!?
ショーが始まった。休憩30分を入れて,二時間半だった。
ショーは,最高! 興奮! 感動! の連続・連鎖だった。充分に堪能した。
そこには,唯一,日本人団員「奥澤秀人さん」がいた。
奥澤秀人さんのことは,テレビのドキュメンタリーを見て知っていた。入団する前からの苦労話しを放映していた。前半は,案内役で通訳を務めた。後半は,パフォーマンスで,鉄棒の演技に出演した。
プロローグの10分が終わって,いよいよ開演となった。舞台上ではすでに演技が始まっている。あれ?ちょうど蚊帳の様な透けた緞帳が上がらない。おかしい。洋助はピーンときた。これは「じらし」だ。洋助は時間を計っていた。
始まって7分後に,ようやく緞帳が上がった。やっぱり! さすがプロの技,見せてくれるじゃん。
洋助の講演会も開始7分が勝負と決めていた。講師が紹介された後,しゃべり出してから,7分以内に何名,何百人いようと,聴衆の心を捕まえないと,その講演は失敗である。そう自分自身に言い聞かせていた。また,プロフェッショナルとしての信条でもあった。
コルテオのノウハウと,俺のノウハウが一致した! コルテオさんは,聴衆の心理が分かっている。そこで,またしても「有頂天」になり,一人,悦に入った洋助であった。
洋助は,たかぶるオヤジなのか!?
後半,ラストシーンの鉄棒演技が始まった。
彼がいない。探した。いたぁ。アーティストが十列ぐらい並ぶコルテオ(行列)の後尾から数えて三番目で,出番待ちをしていた。
そうか,そうかと。洋助は,なぜか何度もうなずいた。そして,胸がつかえてくるのを覚えた。涙が出そうになるのを,必死にこらえた。凝視して,奥澤さんの動きを,最後まで追っていた。周辺のパフォーマンスは記憶に残っていない。そんな洋助の姿が,そこにあった。情にもろく多感なオヤジなのか!?
カーテンコールが二回あって,ショーが終わった。
隣席にいた幸子に,奥澤さんを見ていたら,お父さん泣きそうになったよ。と告げた。幸子は,うん,泣きそうだったね。見ていたのか。親御さんの気持ちになったのよ。それだけ,お父さんが歳を取ったって言うことじゃないの。とさらりと言われた。言われても,素直に受け入れることができた。
休憩中,一冊2000円のコルテオ・プログラムを二冊買っておいた。そのうち,一冊を終了と同時に,幸子夫婦にプレゼントした。
外に出ると,暗くなりかかっていた。
原宿の駅前で,一時間ほどプログラムを見ながら,お茶をした。話題は,もちろん最高パフォーマンスの興奮・感動の雰囲気そのままに,弾んだ。
どうする,このまま帰る。それとも,食事する。と幸子が言った。その時,貴俊君は幸子の携帯メールに入電した。
「今,会社を出る」という知らせだった。
川崎で待ち合わせをして,食事を一緒にとることにした。
近所にある貴俊君行きつけの焼き肉店に,四人で行った。
ビールを飲みながら,レバー刺しと焼肉を食べながら,またまたコルテオの話で盛り上がった。しばらくして,幸子が白封筒を貴俊君に渡して,読むように言った。
貴俊君の感想は,
「身につまされる」
の一言であった。
幸子が,お母さん読んだの,と聞いた。微笑み返しがあった。
その後,息子たちからは,何の反応もない。
家へ戻って来た。ハット,気がついたら,PCを前にカミさんが,初めて掲載文を読んだ。声出して笑いだした。読み終わってからも,しばらく,ニタ,ニタしていた。だけど,何にも言わなかった。幸子も同じだった。
子供たちやカミさんは,なぜ,洋助が何かやろうとすると,また,やっちゃうと何も反応しないのであろうか? 家族は,洋助にさんざん振り回されてきた。抑制力がたくましくなっていた。また,洋助を立てると,すぐに舞い上がるお調子者であることを,よくよく知っていた。
事実,子供たちは,学生時代に友達を家に連れてきて,「お父さんです」と紹介すると,洋助の過剰なまでのおもてなしで,恥ずかしい洗礼を受けていた。それ以来,子供たちは,洋助に紹介することを,ちゅうちょしていた。友達の家に泊まっても,自宅に友達を泊まらせる儀式はなかった。
洋助の生き方は,相手を傷つけてはいけないという思いが強すぎた。自分が犠牲になることは,幾度かあった。
しかし,洋助の知人は,仕事はさまざまであったが,立派に組織の務めを果たした人や,タブーなことでもしっかりと自己主張できる“あっぱれな人”が集まっていた。また,若手との交流も盛んだ。昨今,洋助の方がたびたびお世話になっている場面が見受けられた。知人と交流しているときの洋助は,とっても楽しげだった。その姿は,家族にとってもうれしいシーンである。また,ありがたかった。
洋助は,くつがえる常識にめげないで,一喜一憂しながら,オヤジの限界に挑み続ける。それが,有頂天オヤジの本質だ。
うまい! すごい! プロ作家なみ,と唯一絶賛してくれたのは,長崎の姉だけだった。
これからも,有頂天オヤジの洋助を,黙って,見守ってくれる家族に感謝だ。
今日も家族に完敗。ではなく,乾杯!
(了)
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