20,000回のKISS
福島宏和
はじめてのキスはドキドキするが、10回目になるとしなくなる。では、2万回目のキスはどんな味がするのだろうか。
正和がはじめてキスをしたのは、大学生のときだった。
正和は、広島県内の大学生が集まったボランティアサークルに所属していた。そこには10くらいの大学から学生が集まっている。メンバーは150人くらいで、活動内容ごとに6グループに分けられている。その中の1グループで、正和は3年生の4月からリーダーを努めていた。
リーダーとして新入生を引っ張っていく正和は、新入生から人気があった。このサークルでは、毎年1泊2日で新入生の歓迎会兼研修会を行っている。夜には毎年恒例の「男子研・女子研」というものがあった。これは男子、女子がそれぞれ別々の部屋に集められ、新入生は上級生の前で好きなメンバーを言わなければならないというものである。女子研では、新入生の8割が好きなメンバーとして正和の名前を挙げていた。正和は、新入生に積極的に話しかけている。とはいっても、決して彼女をつくろうとかいう裏心はない。男女の区別なく、楽しいことや不安なことを聞いて回っていた。ボランティア云々以前に、まずはサークルのメンバー同士で仲よく楽しくやってほしい。この想いがあったからである。
希美は新入生の中の一人であった。希美は実年齢より多少若く(幼く?)見えるが、特別美人とか不細工とかではない。街中で歩いていたとしても、特別目立つ存在ではないだろう。女子高出身の希美は、男の人と話すのが苦手であった。話をする男の人といえば、父と兄である。だが、父は単身赴任でほとんど家におらず、兄は口数が少ないほうなので、それほど話をすることもない。街中で知らない男の人に話しかけられると、それだけでちょっと身構えてしまう。しかし、正和にはそういう構えが必要ないと感じていた。
正和は初めて希美を見たとき、「不思議な子だ」という印象を受けた。しかし、何が不思議かと聞かれても、答えることができなかった。プラスかマイナスかといわれれば、プラスの感情だとは言えたのだろう。しかし、何がどうプラスなのかと聞かれても、答えることができなかった。
出逢ってから1ヶ月ほど経って、それが「好き」という気持ちだと気づいた。いや、正確には周囲からそう説明されたというべきだろう。周囲の友人からは、ことあるごとに「お前、希美のこと好きなんだろ。告白しちゃえよ。今ならいけるぜ」と言われるようになっていた。男子高出身で恋愛なんてまったく縁のない世界にいて、大学に入ってからも男女関係なく友人関係を作ってきた正和にとって、恋人はいつか欲しい存在であった。
7月のある日、正和は希美に告白した。夜通し行われた飲み会途中の深夜の出来事であった。その飲み会は、古い家1件を貸しきりで行うものであった。築40年は経っているであろう。このサークルのメンバーがたまに飲み会で使うほかには、利用客はいないであろう代物であった。正和と希美は、周囲の興味本位とも協力ともとれないセッティングのもと、古い家の屋根に二人きりになった。そこで1時間近く関係ない話をした後、ようやく決断をして、正和は希美に告白をした。希美は黙ってうなずいた。ここに初めて恋人を持つ者同士のカップルが誕生した。その後も二人は試行錯誤をしながら、恋人としての期間を過ごしていた。
キスってどうやるんだろう?
そりゃあ口と口をつけるってことは分かっている。
外国ではあいさつ代わりにホッペにチュってのもあるんだろうけど、ここは日本だ。
まさか友達で練習するわけにも行かないし…
つきあいはじめて半年も経つと、正和はキスを意識するようになった。意識するけど、なかなか行動に移せない。手をつなぐときだってそうだった。人ごみの中を歩いていたときに、「はぐれちゃまずいから」と理由をつけてようやく手をつなげたのである。
その日は突然やってきた。
3月のある休日。春が来ました、と言わんばかりの暖かく晴れた日のことであった。その日は昼からドライブに出かけていた。広島駅の近くにある小高い山の上で、地元では仏舎利塔と言われているところである。山頂に車を止めると、そこから広島市の中心部を一望することができた。
景色を見て楽しんだ後、二人は車に戻った。しかし、どこかへ出かける当てもないので、車の中で話をしていた。手をつないだり、頬を寄せ合ったりと、スキンシップも忘れていなかった。
その時は突然訪れた。
二人がたまたまお互いの方を振り向いた。たまたまお互いの方へ近づいた。そしてたまたまぶつかってしまった。ぶつかった場所が口と口であった。
「あ…」二人は言葉になるかならないかくらいの声を発した。
「今のって、しちゃった? ……キス」恥ずかしそうに希美が聞く。
「うん…… そうみたいだね」あいまいに正和が答える。
十秒ほどの沈黙――――
「いや! ちゃんとするの! 初めては『何となく』じゃ嫌なの!」
突然希美が声を発した。それは怒っていると言うわけではないが、自分の行いを認めないという意思が感じられる声であった。
さらに十秒ほどの沈黙――――
「そうだね―――― ちゃんとしようか」意を決して正和が答える。
「これが初めてだからね」確認する希美。
見つめあう二人。
希美が目を閉じる。
正和は顔を右へ30度ほど傾ける。
そのまま正和の口が希美の口へ向かう。
唇が触れ合う。
その状態が2〜3秒続く。
唇が離れる。
お互いが目をそらす。
そこから沈黙が流れた。
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「それじゃ、行ってくるね」
「ねえ、何か忘れてない?」
「いや、かばんもハンカチもちゃんと持ってるよ」
「そうじゃなくって!」
「あ、そうね。まったくいつまでやるんだよ。」
「いいの。あたしたちはいつまでも新婚気分の仲良し夫婦なの!」
「はいはい。それじゃ行ってくるね」
希美は今朝も玄関前で目を閉じる。
正和はあの時と変わらぬ首の傾き加減で、唇を前に出す。
もう何回目のキスになるのだろうか。そしてこれから何回キスをするのだろうか。
二人はつきあってから5年で結婚した。その後は毎日、出かける前にキスをするのが当たり前の生活をしている。
「ねーえ、おばあちゃんになっても、チューしてくれる?」希美が甘える。
「いいよ」穏やかな声で正和が答える。
(了)
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