僕の大事件
鈴木裕美
僕、とくだあきお。今年から保育園の年長組になったんだ。年長組って言ったら、もうお兄ちゃんだよね。
去年の11月、すごく悲しいことと悲しいことを忘れちゃうようなことが起きたんだ。僕にとっては2つとも大事件だった。
僕の友達は、女の子が多いんだけど、大親友のクロっていう犬がいるんだ。体も顔も、目も鼻も全部が真っ黒だからクロ。雑種なんだって。なんかね、血統書つきっていうのもいるって聞いたけど、僕は関係ないと思う。だって、クロは頭がよくて言うことをよく聞くし、おとなしくて、いい子なんだ。
あ、クロも女の子だった。たくさん赤ちゃんを産んだんだよ。でも、保育園で飼えないから、飼ってくれる人を捜したんだって。クロは赤ちゃんと別れる時、すごく悲しそうだった。クゥ−ンってずっと泣いてたよ。僕、可哀相でママに迎えに来てもらうまでそばにいたの。次の日も、その次の日も一緒にいたんだ。その時は、友達と遊びたいなんて思わなかったな。クロの方が大切だったんだ。
僕のママは看護婦さんだから、保育園で一番最後に帰るのが僕なんだ。時々、お姉ちゃんも迎えに来てくれるよ。でも、本当はママかパパじゃないとダメなんだって、先生が言ってた。お姉ちゃんは小学三年生で家のことがなんでもできるから、特別なんだって。
あのね、1つめの事件はね、大好きなクロが死んじゃったことなんだ。今でも思い出すと、涙が出そうになるけど、僕は泣かない。
朝、保育園に行ったら、いつも門のところまでお迎えに来てくれるクロがいなかったの。犬小屋まで見に行ったら、クロが小屋の外で横になっていて冷たかったんだ。いつもは隣にいるだけであったかくて、犬小屋の中にいるとホカホカしてたのに。僕はクロを起こして一緒に遊ぼうと思ったから、クロって呼んで、体をゆすってみた。ハエがブーンって飛んできて、クロのまつ毛に留まったんだ。僕はハエがクロを汚しちゃうようで、ハエが留まらないように守ってあげようと思った。ハエに『何するんだ』『やめろ』『あっちいけ』って言って、手で払ってたんだ。そしたら、友達の由香ちゃんが
『何してるの?』
って、後ろから声をかけてきた。由香ちゃんはクロを見て
『クロが死んでる。先生に言わなきゃ』
って走って行っちゃった。それから保育園が大騒ぎになったんだ。
僕はクロと離れたくなくて、クロの首にしがみついていたんだけど、先生がお別れしないとダメだって。僕だけ持ち上げられて、クロはどこかに連れて行かれちゃった。僕は昨日まで一緒だったクロが、今日いなくなったのが嫌で、寂しくて、我慢できなくて、泣きながら暴れちゃった。先生がお姉ちゃんにお迎えの連絡をしたから、僕はお姉ちゃんと家に帰ったんだ。
お姉ちゃんは、帰り道で
『アキ、今日は大変だったね』って言ってくれた。
『アキ、人でも動物でも生きてたら、いつかはお別れするんだよ。バイバイって見送ってあげないとダメなんだって』
『今日はクロだったけど、パパやママともお別れする時が来るんだよ』
『でも、自分が死んで生きてる人とお別れすると、今度はクロにも会えるよ、アキ』
僕は、いつかクロに会えるっていうのが気に入って、仕方がないことなんだと少し思った。クロを思うと、泣いても、泣いても、涙が出てくる。泣くと、涙だけじゃなくて鼻水も出てきて顔がぐちゃぐちゃになるよね。悲しいってこういうことなんだね。
保育園に行くとクロのことを思い出して、みんなと遊ばないでクロの小屋に入るんだ。クロの小屋は、大きくて三角なの。僕と友達がしゃがんで3人は入れそうだよ。塀と地面に板を斜めに置いて壁をつけたみたいな形なんだ。小屋にいるとね、クロの匂いがして、なんだかクロと一緒にいるような気がする。小屋に行かないと、かえってクロのことを思い出して涙がでちゃうんだ。保育園では僕は変人って言われた。でも気にならなかった。だって僕はクロの親友だから、みんなと違うもん。
毎日クロのことを考えて泣いてる僕に、パパもママも『泣きたいだけ、泣くといいよ』って言ってくれた。
小屋の中で、クロと遊んだことを考えてたら、ハエが飛んできた。クロにハエが留まったんだと思ったら、すごく悲しくなって、また涙が出てきた。我慢出来なくなって声を出して泣いてたら、由香ちゃんが来たんだ。
『アキちゃん、大丈夫?』
僕は全然大丈夫じゃなくて、返事ができなかった。そしたら、小屋の中に由香ちゃんも入ってきて、隣に座ったんだ。
『アキちゃん、クロのこと思い出してたんだね』
『うん』僕は泣きながら、無理やり返事した。
『クロのこと、先生に言ってごめんなさい』
『…』
『アキちゃん、怒ってる?』
僕は怒ってないって言いたかったんだけど、言葉にならなかった。由香ちゃんが、僕の顔を見てるのがわかったけど、顔から手をはずせなかった。僕をほうっておいてほしかった。
由香ちゃんが、また『ごめんね』って言って、僕のほっぺに触ったんだ。僕が怒ってないって言わないと、由香ちゃんは出て行ってくれない。そう思って横を向いた時、由香ちゃんの口と僕の口ががくっついちゃった。僕は涙と鼻水が流れたまま、びっくりして由香ちゃんを見たんだ。
由香ちゃんは『えへへ、なんだかしょっぱいね』
『アキちゃん、顔ふいたら』ってハンカチを貸してくれた。
びっくりして涙が止まった僕は、由香ちゃんにティッシュももらって鼻をかんだんだ。鼻はすっきりしたけど、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
僕は由香ちゃんと一緒に小屋にいるのが気になって、由香ちゃんを怒ってないし、お部屋に戻った方がいいよって言ったんだ。由香ちゃんは
『今のこと、みんなに内緒ね』って小屋を出ていった。
さっきまでクロのことだけを思っていたのに、頭の中が由香ちゃんのことに変わっちゃった。みんなが言うように、僕は本当に変人なんじゃないかと考えた。その日から、クロのことを思うと由香ちゃんの顔が浮かんで、泣くことはなくなったんだ。後になって、由香ちゃんの家でも飼ってた犬が死んじゃったことがあったって教えてもらったよ。
僕は、あの時のことを考えると、ドキドキして、僕が僕じゃないような気持ちになる。これって変だよね。クロがいなくなったこととセットで、由香ちゃんのことを考えちゃうんだ。これが2つめの事件だよ。
泣いてない僕を見て、お姉ちゃんは『えらいね』ってほめてくれたけど、僕は恥ずかしかった。
由香ちゃんのことはまだ誰にも話してないんだ。もしかしたら、これからも話さないかもしれない。だから、内緒だよ。絶対に内緒にしてね。
(了)
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